みしま・リスペクト③

毎週月曜日は横浜センター南でユキさんのアフリカンダンスとジェンベを1時間半の中で両方やるクラスをしてまして、自宅からは2時間ほどかかるため比較的早めに出て早めに着くようにしてます。昨日も10時には着いたので銀行行ったりしながら11時からのクラスまでの間をスタジオで自主練しました。ファマドゥから教わったフレーズをひたすらイメージしながら。

kurasumaeniワーク初日、いきなりファマドゥのクラス。ここに参加しているほぼ全員約200の過剰期待に満ちた瞳が見つめる中ファマドゥが体育館に登場。纏ってるオーラが「平温」なところが凄い。普通、達人は知らず知らずに自分も達人としての振る舞いをしてしまうし、周囲側近もそれを期待したりそうさせる方向に持っていってしまうことが多いように思う。それはそれで良いとも思う(何日目かの夜、その件では岩原氏と言い合いした)が、王として君臨することを避けるかのようなファマドゥの井手達振舞は逆にその存在を圧倒的なものにしていたように思う。いきなり結論めいてしまうが上のもの(神のようなもの?)にも下のもの(身分ではないよ)にもすべてのものに平穏対等でいよう・尊敬尊重しようという姿勢が「あのトン」を産んでいるのではないだろうか。
sugoihito100人が一気に叩きだすジェンベの音を想像して欲しい。それは「イベント」としては物凄い驚きを醸し出すが「習い事」としてはチト難しい側面がある。ましてや体育館。円を描くと対角線の相手まで50m以上あるため音が視覚より遅れて聴こえて来る。実際、最初は自分達もファマドゥや岩原さん宏樹たちも戸惑った。しかしファマドゥが凄いのはその状況をありのまま受け入れて、そして全く悲観することなく、いや逆にそれを楽しむかのようにワークショップを展開したところだ。「聴こえないなら出向く」が如く小躍りしながら100名の参加者一人ひとりのところへ行き、すべての音に耳を傾けて時には足を停めて、時には鳥の羽やパーニュなどの小物を屈指して「ワークショップを楽しんでいた」。
通訳の岩原さんがこぼしてたけど、リズムの解説をし出すと話がどんどん展開して行き中々本筋に戻ってこないと(笑)
そのコケティッシュな感じと小柄で陽気なおじいちゃん風情、脱線する話、そして決して手数が多くなく難解でもないジェンベのフレーズ・・・分不相応かもしれませんが自分が成りたいジェンベ叩き像に限りなく近いのがファマドゥコナテ師だった。もっと早く出会っていたら自分のジェンベ人生が変わっていたかもしれない。bowlfamadoluそんな師がウチのボウルマリジェンベにとっても興味を持ってくれた。ベースがいいと。(スラップはセパボンだって(笑))実際ファマドゥが大切にしているのはベースだった。それは今の自分の師「ダラマンジャバテ」が常々言っていることだ。そしてファマドゥの叩くジェンベのニュアンスとダラマンのジェンベのニュアンスが物凄く似ていた。それはファマドゥ世代のジェンベがマリンケもカソンケも含めた「マンデ音楽」の範疇にあったという証明ではないだろうか?と。

誤解が無い様に念のため書いておくが、ファマドゥは昔から今のような感じになったのではなく、若き頃はバレエアフリカのマスタードラマーとして26年間も君臨していた。それはそれは物凄い修練を積み、どんなフレーズにも対応できる身体と強靭な精神をもってしていただろう。
今回の自分の気づきはのちに書くがババラのメソッドで「動くようになった自分の手」と過去凄まじかったであろうファマドゥの今を鑑みて「やるっきゃない」と思えたこと。それが宝だった。

夜、これから始まる膨大になるであろうジェンベのフレーズを反芻する間もなくジェンベ基地にひとりまたひとりと素敵な笑顔のみんなが集まってきた。
終わることのない長く楽しい語らいのはじまりだ。