生活の中にあるジェンベ。 ジェンベの魅力に取り付かれた人や、そうでもない人達に
『あなたとジェンベの関係性』
を根掘り葉掘り聞いてまわろう とスタートしたインタビュー企画。
Vol.4とVol.5の2回はスペシャル企画。
去年カリフォルニアに訪れた際にアメリカの、
いや世界でも指折りのジェンベビルダーのお二人にインタビューしてきました。
色々な意味で激変する今の世の中。
2人のジェンベのストーリーを共有して
ジェンベとの関係を改めて見つめ直すきっかけとなればと思います。
vol.4 Matt Hardwick
カリフォルニア州オークランド
西アフリカ楽器専門店
『DRUMSKULL DRUMS 』オーナー
— ジェンベとの出会い
一番最初の出会いはGrateful Deadのライブの会場の駐車場でのドラムサークル。
初めてドラムサークルをみて、興奮して叩いてる奴に「俺にも貸してくれよ!」って言って貸してもらって 笑
その後カリフォルニアに移住した後、サンタクルズのビーチで(ドラムサークルの創始者)アーサーハルの
ワークショップに参加したんだ。ジェンベを習えるなんて思ってもみなかったからね。
— ジェンベ歴
1993年くらいから
Blendaという女性がサンタクルズの小さな箱でライブで叩いていて、彼女がまた素晴らしくって、
ライブの間にジェンベのことを話ししてて、その時*アブドゥライの名前を知ったんだ。その後ママディーケイタのワークショップがサンタクルズであって、そこに参加したり。
*アブドゥライ— Abdoulaye Diakite(アブドゥライジャキテ)
1950年、セネガルのタンバクンダに生まれる。ジンベを生みだしたバマナ(バンバラ)族の出身。7歳の時からジンベを学び、スンガロ・ジャロ、ドゥグファナ・トラワレらジンベの歴史に残るマスタードラマーから指導を受ける。15歳にしてマスタードラマー(名人)となる。
1968年にセネガル国立舞踊団に参加し、以後18年間首席ドラマーとして世界中で公演する。1986~2008年まで、アメリカ、カリフォルニア州オークランドを拠点として、アメリカや日本で指導、公演を続ける
2008年、事故による一酸化炭素中毒で、5日間、意識不明になり、その後、意識を取戻すも、脳の90%に近い部分に損傷を受け、記憶を失う、話せない、動けない状態から奇跡の復活を遂げ故郷のセネガル、タンバクンダに設立した合宿所(2005年)で、リハビリを続けながら、地元のドラマー、アメリカ、日本、オーストラリアから集まる生徒を指導するかたわら、バマナの伝統的な儀式の復活に尽力し、タンバクンダの文化の復興のために 活動。
2018 年1月 永眠。
ジャキテ氏は、マスタードラマーとしてのジンべの演奏技術もさることながら、ジンべのリズムとその歴史だけでなく、広く西アフリカの歴史にも深い知識を持ち、世界中のジンべのマスタードラマーから「グランドマスター」と認められ、まさに「ジンべの生き字引」として尊敬されている。
— DRUMSKULL DRUMSの始まり
その頃トレーラーハウスに住んでいて、近所の友達とガレージでセッションよくしてたんだけど、
そいつが「近くにあるドラムショップがクールなんだよ!行ってみようぜ」って。
そこではワークショップもやっていて、行ったらいきなりそこに参加しろってことになって、
しかもその店は俺がトレーラーハウス停めてたすぐ近くで「ワオ!」ってなって笑
そのころは造園屋をやってて、金は悪くなかったけど、ギターショップに面接に行ったり、ギター職人ってクールだろ?
それでよくそのドラムショップに顔を出してるうちに仕事探してるならうちで働かないか?って言ってくれて、
夢が叶った!ってなったね。
「west cliff percussion」
25年のドラムビルダーの始まりだよ。
最初はASHIKO作りから、 いろんなパーカッション作りを勉強したよ。
そのうち西アフリカのパーカッションに傾倒するようになって、仕事の合間にdundunを作ったりしてて
ある日ボスに見せたらスッゲー怒られて 笑
こんなの売れないよって
次の日辞めたよ 笑
その後アブドライの生徒の友達のデリックとドラムショップを始めたんだ。
そんで親父に電話して、
「仕事やめたんだ」
「何だって!やめてどうすんだお前?!」
「自分で店やるんだ。」
「名前はなんて名前だ?」
「まだ決めてないよ」
「それじゃあ『Drum Skull』ってのはどうだ?」って (一同爆笑)
「numskullsみたいでいいだろ?って笑」*numskulls—コミック
俺も「いいじゃん!」ってなって(一同爆笑)
当初は「何でDrumSkull?」って言われたけど、俺は気に入ったんだ。
店を始めて、しばらくしてから自分とパートナーで頑張ってたけど、当時アフリカに行って自分で楽器買ってきて個人で売るやつとかが増えてきたり、
パートナーを引き抜こうとしたりする奴がいたりとか、、17年一緒に働いたライアンのこととか、、ケビン、色々あったよ。。
でもいつもアブドゥライだけは、
「自分のやってることにフォーカスしろ」
「自信を持っていいい。周り流されずにやればいいだ」
「肌の色が何色でも、君の作る楽器は美しい。」
って常にそばにいて励ましてくれた。
白人のアメリカ人の俺が、マンデン音楽の楽器をあつかうっての本当に難しいことなんだ。
『文化の違い』
壁は大きよ、でもやるんだ。これが俺の仕事なんだ。
今でさえ、自分の居場所が正しいか自問自答を繰り返しているよ。
— ジェンベを作ること
ジェンベを作るってことは演奏するってことと同じくらいとてもパワフルなことなんだ。
だから自分がジェンベを作っていることが、誰かを傷つけたりしていることがないようにとても気をつけているよ。
リスペクトが大事
ジェンベは本当にパワフルだよ。リスペクトがなかったら絶対ジェンベは作れない。
ちょこっとかじったくらいで、もしそこにリスペクトがなかったら簡単に潰されちゃうよ。
だから今でも謙虚に謙虚に。
謙虚さを失ったら明日でもジェンベは僕を見限ってしまうよ。それが自分の信条
いろんなジェンベカンパニーができてきているけど、自分はベストを尽くすだけ。
お金儲けはできないよ。
お金儲けしようと思ってたらとっくにお店は潰れていたと思う。
お金儲けは悪い事じゃないとは思う。
でも自分の中でジェンベってのは「ゲットーからのもの」って意識もある。
ジェンベで這い上がるんだって。アーティストとかね。
みんな「Hey Matt! 儲かってるね!」っとかからかってくるけど、全然だよ。
店を見たろ?小さい工房さ。
自分が愛しているってのと、周りの人にカルチャーに触れて欲しいだけさ。
同じ熱量を感じることが最近は少なくなってきたようにも思う。
今はガッツがある奴が少ないよね。
今でも毎朝ジェンベを作るのを楽しみに起きるよ。
仕事が大好きなんだ。
明日ジェンベを触るのも楽しみなんだ。
「ここをああしてみよう」とか「これとこれがあうんじゃないか」とか考えるだけでワクワクしてね。
ジェンベ一台一台に想いを込めて、
そのワクワクこそがいちばんの報酬だと思う。
ジェンベ叩くのも一緒さ。毎日叩きたいさ。
今日叩いたリズムは明日叩きたくないとかありえないだろ??
さて同じリズムを叩いて今日はどんな気持ちになるかなって、ワクワクするんだ。
— 自分の楽器を見せてと言ったら出してくれたサンバンとジェンベ
ジェンベビルダーはラッキーだ。いっぱいいろんなジェンベを叩けるからね。
俺は何100本と叩いたよ。
全部違って、全部よかったよ。
チューニングが高いジェンベ、パーフェクト!
チューニングが低いジェンベ、パーフェクト!笑
そのジェンベに叩いて、感じて、寄り添って、見つけるんだ。
低いジェンベはとてもメロディアス。
— こないだのクラスでは取り合いになったよね笑
俺たちは違う音域が欲しいから取り合いになったね。
そこもジェンベの面白いところだよね。
音と音がぶつかり合うと、打ち消しあう要素もある。
グレートフルデッドでもそうだったよ。
ボブウェアがキーボードの音を打ち消してそいつをクビにしたんだよ笑
ジェンベもそういう一面あるよね。
そうなると楽しくない。ハーモニーも無くなるし。。
昔の現地の音楽みたいにチューニングを落として音程に気をつけてメロディアスになることを望んでいるよ。
今はハイピッチの太鼓ばかりで聞いててつらい時がある。
「音」は「アート」だよ
バランスが大事だ。癒しの音。聞いたら誰でも感じる。
ハイピッチの太鼓を酒飲みながら大音量で叩いてる奴がいるけど、
デンジャラスだよ笑 誰か傷つけてしまうよ 笑
自分はジェンベポリスじゃないから取り締まれないけど 笑
危険だよ。
ジェンベビルダーの仕事の醍醐味
楽器に対するアプローチの違いをたくさん見れること。
初心者からマスターまで
興味があるんだ、どうやってその楽器と接するか。
いきなり叩きまくる人、小さい音で触ってそれから叩く人、色々だよ
ジェンベは人を盲目にさせやすい。
自己陶酔に陥りやすいというのかな。
あまりに気分がよすぎて、エゴがレベルアップしてるのに気がつかないんだ。
叩く時、誰と叩いているか、どうやって俯瞰しているか、その自分の置き方?っていうかな
アプローチの仕方にとても興味がある。
— ジェンベを叩くこと
俺は器用なドラマーじゃないし、頭も悪い。
25年やってるけど、俺は習ったりするのがね。。
太鼓組んでばっかり。
習って習って頭でっかちになるとエゴが自分を超えてしまう。
ゆっくりやるしかないのさ。
ダンスも重要な要素だよね。
ミュージックなしで踊ってる奴がいたらこいつ頭大丈夫かな?って思うだろ?
ジェンベもそれと同じことが言えるね。踊りなしで太鼓叩く?って
ヒッピーのやってるもんんだろ?ってイメージ持たれてるけど、
どんなに愛を注いで勉強してるか周りの連中は知らないんだ。
カルチャーの重みにどれだけ捧げているか
ただ楽しいだけだろって思われてるのが悲しいね
— アブドゥライ
今でも毎日幸運だと思っている。
彼に会えて、ジェンベとつなげてもらえて。
彼がいなかったら今の自分はない。
迷っていた時、苦しかった時彼が背中を押してくれるだけで十分だった。
彼の信条、考え方、哲学がガイドになってこれだけ長く続けてこれたんだと思う。
そろそろ寒くなってきたな 笑
(*この日午後公園に集まって太鼓叩いて、ベンチでインタビューを始め、2時間近くジェンベ話で盛り上がった)
— 一番聞いたアルバムTOP3は?
Mali tradition vol1
Mamady keita 「wasolon」
— ジェンベ関連じゃなければ?
もちろんGrateful Dead
— どのアルバム?
全部さ!!
一同爆笑
んー必ず「Terrapin Station」は入るな。
「Dead Set」もね
ブルースやジャズも大好き。
ジャムバンドも大好きだね。
— でTOP3は?
沈黙
明日答えていい?
一同爆笑
一万枚は頭にあるからね
— 次の質問は映画だからね!
やめてくれよ!!笑
— あなたのゴールはなんですか?
人生のっていうか、ジェンベはやめないよね?
ノー
— それを踏まえて自分にとってのゴールってなんですか?
アフリカにもっと行ったり、休んだり、バケーションを取れるようになることかな。
スペースがあれば。
もっと成功すれば。
いや、自分は成功してると思う。
生活できて、病気の兄弟の面倒も見れて、いい仕事ができて
たとえ今死んだとしても、もうゴールにいるよ。
友達も周りにたくさんいて、ドラム&ダンスに囲まれてる。
一人じゃないさ。
Matt Hardwick
カリフォルニア州オークランドにある西アフリカ楽器専門店
『DRUMSKULL DRUMS 』代表
1969年 イリノイ州シカゴ生まれ。1990年カリフォルニアに移住