生活の中にあるジェンベ。 ジェンベの魅力に取り付かれた人や、そうでもない人達に
『あなたとジェンベの関係性』
を根掘り葉掘り聞いてまわろう とスタートしたインタビュー企画。
Vol.4とVol.5の2回はスペシャル企画。
去年カリフォルニアに訪れた際にアメリカの、
いや世界でも指折りのジェンベビルダーのお二人にインタビューしてきました。
色々な意味で激変する今の世の中。
2人のジェンベのストーリーを共有して
ジェンベとの関係を改めて見つめ直すきっかけとなればと思います。
vol.5 Dan Rice
カリフォルニア州ロサンゼルス
アフリカンパーカッション専門店
『Motherland Music 』代表
— ジェンベとの出会い
7歳くらいかな、ある日友達の家に遊びに行った時、壊れたスネアが捨ててあって、
聞いたら「持ってっていいよ」って。
家に持ち帰って自分で修理してみたんだ。
見よう見まねで合ってるのか何も分からなかったけどね 笑
今思えばそれがルーツかもなあ。
そのあと少しドラムセットやってみたけど、なんか気に入らなかったのかな。
やめてしまったよ。
16歳の時初めて自転車でパナマまで行ったんだよ。
田舎町で育ったから、外に何か新しい発見があるんじゃないかって。
それがきっかけでいろんなことが変わったと思う。
考え方とか物の見方とか。
それ以来、毎年夏は中南米によく旅行に行ったんだ。
旅で出会ったいろんなバックパッカーからアフリカの話をよく耳にしてて、
それからなんとなく「いつかは行ってみたい場所」って思ってた。
21歳のころ彼女に誘われて大学内でアフリカンダンスの公演があるって誘われて、
それで見に行ったんだけど、それがまた強烈に印象が残ってて、
それから7年かかったけどね、アフリカに実際行くまでは。
20代前半からは大工の仕事に没頭して、そのころは仕事以外では友達とジャムするのが好きでね、
俺はハーモニカやったりして 笑
周りにある音楽といえば、フォークだったりカントリーだったり、ロックももちろんあったけど
やっぱりフォークに傾倒してたかなあ。
その頃から楽器を作りにも興味が湧いてきて、バンジョーとか何年も作り方勉強したよ。
初めて作ったバンジョーは今でDanのオフィスに飾られている。
大工の仕事は季節労働みたいなところがあって、冬はいわゆるシーズンオフだから
ある年の冬「アフリカに行ってみよう」って思い立ったんだ。
アフリカ(ガーナ)に行ってみて、
人生変わったよ音楽や景色や人の暮らしに一気にがーんってやられたね。
ガーナから楽器を輸入してアメリカで文化を広めたい。
俺の仕事はこれだ!って。
よく年もアフリカに行って太鼓いっぱい買って、すぐLAに移住した。
LAでは、はじめイベントやマーケットで売ったり、ミュージックストアに営業行ったり。
その時出会ったガーナ人の友人とCrenshawモールの近くでお店をやってみたけど半年でダメで。。
その後2年くらいは自宅の倉庫で作業しながら。
その頃かな結婚したのは。
ある日、コロラドに住むミュージシャンのいとこから連絡があって、「太鼓送ってくれよ、ツテがあって卸して欲しいって楽器屋があるんだよ」って。
「もちろん!」って太鼓送って。
そしたらすぐエンジニアやってるっていういとこの友人が「投資するから店をやらないか」って話があって、
「もちろん!!」ってなって 笑 それがMotherland Musicの前身となるショップの始まり。
1997年のことだよ。
1998年には「カンガバ」からアメリカの代理店を探してるって連絡があって、とりあえず100本送るよって。
それまではガーナの太鼓を扱ってたから、マリの太鼓は初めてで。
*KANGABA についてはこちら
それがコロラドで成功したんだ。
それを機にLAで工房をオープンさせて。
順風満帆だったけど、次第にコロラドとLAでっていうのが難しくなって、投資してくれたやつが去り、
いとこも店をたたみ、LAの工房だけが残り、、『Motherland Music』として改めてスタート。
そこでお前が突然が現れたんだよね。
— うわー大変な時期にすいませんでした!!笑
(*1999年に英語も喋れないのに「働かせてください!」っと毎日通い続けた。TDFタクミ当時22歳)
その頃くらいからカンガバから送られてくる太鼓も理由はわからないけどクオリティーが落ちてきて、
届いた太鼓は全て皮交換しなくちゃ売れない状態で。。大きな損失だったよ。
— おかげでガーナの太鼓はシェル形成から、カンガバはリング、皮はりの修行になりました!
そしたらユスフが電話してきて、
「マリの太鼓買ってくれよ!」って笑
(*現在のTDFの太鼓はほとんどユスフの工房で作られています)
「渡りに船」というか、カンガバとの取引を終えて、またマリから太鼓を送ってもらうようになって、、
マザーランドミュージックのそっから後の物語はタクミも知ってるとおりだよ。
*1999-2005帰国するまで在籍
— そうだね。引越しも2回!!しましたしね。
元ジャマイカレストランを解体して、壁壊して壁作って笑、トイレ拾ってきたり、
コンテナ4代分くらいの太鼓を運んで、巨大な棚作ったり、
色々ありましたね 笑
DANには「諦めない」、「自分でできることは自分でする」ってのをとても強く学びましたよ。
— 家族と太鼓
息子のランドンもマザーランドと一緒に育って、今や立派に!店長になったよ。
—今の自分の娘くらいの年でしたもんね。早いなあ~。しかもしっかり後継者として。
何かを直接教えてあげられたことは少なかったかもしれないけど、ジェンベ自体が、
またその周りにいる人たちがいろんなことを彼に教えてくれたと思う。
誠実さとリスペクトが何よりも大事だってことをね
その成長の過程を見れていることは何よりものジェンベが与えてくれた恵みだと思ってる。
太鼓に関わるってことのベースだよね。
「誠実であること、リスペクトし続けること」「ジェンベは全て見えてるよ」って
太鼓に関わる、太鼓を作る、売る、演奏する。
売るってことも少なくとも人との出会い、楽器との橋渡しの役目だけど
作ることも楽器の声を具現化するっていうか、誠実に向き合わないと本当にいい楽器は作れないし、人を感動させることはできないと思うんだ。
そういえばさっきタクミに自分の太鼓を見せて欲しいって言われたけど、
今まで自分はこの太鼓が欲しい!って思ったことがないんだ。
自然に近くにあって、所有してるって感覚がない。
縁があって、手放すつもりもその理由もないあえていう自分の太鼓は
84年に兄貴がアフリカ行った時に買ってきてくれた太鼓とユスフが作ってくれた名前入りのジェンベ
— 趣味は?
自然の中にいるのが好きだ。
都市にいるのがあまり得意じゃないから、いまは庭に畑を作ったり。
物作るのは得意だから、ガーデニングの建築っていうか、作ったり、
歩くのも好き。
仕事に時間を取られてばっかりだけどね笑
家でギター弾いたり
— 好きな音楽Top3を教えてください。
好きな音楽は20代に聴いてた音楽がずっと好きだね。
それもメッセージがある音楽が好きだね
アーティストでいうと
Bob Dylan
Mady walter
Flatt and Scruggs
とかかな。
— あなたのゴールは?
最初に言った通り大工として長い時間生きてきたし、「ものづくり人」だと自分は思っていて、
「いいものを作る。」
それがゴールというか、終わりがくるまで続けられればと思う。
まだまだ挑戦したいことが沢山あるんだ。
新しい木や材料にもチャレンジしたいし。
ジェンベだけにもこだわってないよ、
「Natural Music Instruments」
色々挑戦して作ったり、紹介したい。
その挑戦の旅が自分の人生にどう影響するか、楽しみだよ。
— あなたにとっていいジェンベとは?
いいジェンベとは、、、、、、、かあ、
自分にとって、、、、、、、、いいジェンベとは、、、、
いい音がするジェンベだよ。
「音」が何よりも大事。
叩いてみて、もっと聴きたくなるようないい音。
でも、
すべてのジェンベはいいジェンベだよ。
悪いジェンベもいいジェンベ。
「音」が悪くても、改善するチャンスを与えてくれるだろ?だからいいジェンベ。
古い太鼓から色々学んだよ。
いい音も、そうでない音も。
何度も何度も皮を張り替えたり、リングを交換したり、エッジを削ったり、
何台も何台もいい音を求めて。
そして自分が納得する音のする太鼓を
使ってくれる人が満足してくれる
それが自分にとってすべてだよ
太鼓に触れてるのが好きなんだ。
もう無意識だよ。
Dan Rice
ロサンゼルスにあるアフリカンパーカッション専門店 『Motherland Music 』代表
1959年 ミズーリ州 カンザスシティー生まれ