今から11年前の2004年、まだ会社員だった頃に福岡県久留米市へ仕事で出張した、というか少し無理やり出張できるように見込み客に対してプレゼンの機会をもらった。翌春に隣県大分で新規OPENする施設を有するスポーツクラブの久留米店は「ゆめタウン」という大型商業施設の隣にあり、そこの広告を受注することは数千万円の売りに繋がるからだ。
早々にプレゼンを済ませて久留米駅へ戻る。当時久留米でジェンベコミュニティを活発に作っていたDさん夫妻と待ち合わせていたためだ。久留米駅のバスターミナル。1996年にヤマザキヤマトと組んでいた土音(ドロン)というバンドの九州ツアーで福岡から西鉄で久留米へ、このバスターミナルからバスで浮羽郡吉井町の島居さんが経営していたお店でライブをしに行った。当時はまだトラディショナルなジェンベは知らなかったけど。
その思い出のバスターミナルまで車でDさん夫妻が迎えに来てくれた。Dさんはジェンベ好きでもあったが「博多めんたいロック」好きでもあり、自分も高校生の頃のめり込んだモッズやルースターズの話などで盛り上がった。そしで久留米といえば当時からバリバリ活動していたフォリカンのタカオのワークショップを同じく久留米でバリバリ叩いていたKちゃんのお父さんが経営するスタジオで開催してくれて、それはそれは楽しくDさん達と一緒に叩いた。
その後、打ち上げで行ったお店は「月人」というアジアン居酒屋。お料理も雰囲気も、もちろんお酒もとても美味しく、自分が行くということだけでワーク後に集まってくれたCちゃんや、行けなくてゴメンなさいってわざわざ電話までくれた故Uちゃん、久留米ってホントいい街って感激すると同時に「もしこの暖かな集まりの中の誰かが東京に遊びに来てくれた時、こんな暖かな歓迎が出来るだろうか?」と強烈に打ちひしがれたことを覚えている。
その数か月後、Dさんの奥様Mさんから一通の封書が届いた。開けたら何と月人で撮った写真が掲載されている久留米のコミュニティ誌「月刊くるめ」と手紙が入っていた。
泣きました。
この頃は猛烈に地方コンプレックスが強く、行く先々で同様の劣等感を痛切に感じていたけれど、今は違います。
町屋には僕らTDFとさわちゃん日光アフリカ屋、そして強固な町屋SUKU面、西東京にもたあさん達が居ます。久留米や熊本のような強烈な愛には及ばないかもしれないけど、僕らは町屋を愛してます。西東京を愛してます。だからこの地と自分らのコミュニティを愛してもらいたい、来てよかったって思ってもらいたい、そしてこれからもずっとジェンベと地域を通して繋がっていきたいって暖かい気持ちがあります。
今週末も北海道からU若頭が町屋と西東京に来てくれます。
肩肘張らずに自然にお迎えしたいなと思います。
PS:最上の写真は2005年に熊本大さんと別府温泉帰りに食べた関アジ。半端ない美味しさに、これまた打ちひしがれたものです。