ダラマン・ジャバテ。
ジャバテ姓であるからといって全員がグリオ家系だとも限らないかもしれないが、ダラマンは紛れもないグリオだ。
グリオ・・・・。
かつて、人前で音楽を演奏するのはグリオしか考えられなかった。もちろん、そのような状況の中でグリオ以外の人々が音楽の勉強をする機会もなかった訳だ。しかし、アフリカ諸国は独立後に、各国とも民族主義を鼓舞するために、伝統技能、とりわけ音楽の振興に力を入れた。ギニアは国を挙げてそうした芸能教育を徹底的に行った。その様子は、まるで軍隊のようだったという。 マリでは国が主催した「青少年芸術文化ビエンナーレ(音楽コンクール)」などの音楽イベントが行われた。こうした国策の成果で、ポピュラーミュージックも台頭し、ミュージシャン=成功者という図式も現れてきた。今でも国立放送局は、若手のミュージシャンを発掘しようと各種コンテストを催しているし、国立芸術学校のような音楽を教える機関も整いつつある。
こうした中、現在の若者の音楽演奏に対する抵抗感はかなり薄れたように見える。勿論、中には根強い偏見が残ってはいるのだろうが、徐々に音楽はグリオだけのものから離れつつあるようだ。そして、同時にグリオにも変化が起きている。帝国の昔から脈々と受け継がれてきた歴史を自在に語ることができる「語り」のグリオは減り、流行歌手としてのグリオが増えている。グリオの中でも本格的な語りができるグリオはごくわずかだという。今生きている「語り」ができるグリオ達が亡くなってしまったら、彼らの持っている膨大な歴史の蓄積は消えてしまうのだろうか。これが、時代の流れとはいえ、どうにかして後世に残していただきたいと思う。(写真家青木司さん文引用)
長い長い音楽の歴史・そしてこの先何百年と人々に生きる活力を与え続けるであろう音楽の「その真っ只中」に今、僕らはいるのだ、、とダラマンが叩き出すカソンケドゥンドゥンの熱い塊のような音と震えだしたくなるグルーブを感じるたびに思う。
それを遠く離れた日本で体感出来て、そして習えるということがどれだけ貴重で大切な事なのか、、は残念ながらまだ広く認識されていないように思う。まあ100人が100人に「それ」が貴重でも大切でもないかもしれないし、日本人は日本人らしく盆踊りをどどんがどんってやっていればいい、と宣う人も実際いる。が、いまこの西アフリカ伝統のリズムにやられちゃってる僕らのような人が様々ありながらも日々イキイキと暮らしている様を見るだにダラクラをずっと続けていきたいって改めて思う。
httpss://youtu.be/zGdPh7kJpEg
ダラマン、どうかこれからもよろしく願いします。