全大宴2では全てのクラスへ5月から7月にかけて「事前訪問」して講師や生徒さん、それからチームにまつわるキーマンなどにインタビューや取材を敢行しました。
その時期はちょうど第4波と第5波のはざまで
ラッキーなことに不安ながらも、まあ全く動けないということもなかった時期でした。
思えば全大宴1も収録から配信までの2月3月は第3波と第4波のはざまでしたので
何だか護られていたんだと思います。
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今回から数回に分けて事前訪問から本番までのそれぞれのチームにおける人間模様を「サイドストーリー」として動画で直線的にご覧いただけるようにしてみます。
第一回目は熊本編。
事の初めは東京にいて「大発表宴会」にも出演してくれていたラウラウ・バングーラが熊本へ移住した事でした。
ラウラウの来日以来常にサポートしてきた全大宴1に出演したアフリカ新座のユウキンはかつて佐々木と「江戸マンディンカ」というグループで活動してたことがあり、2006年のママディケイタ東京ワークショップの際に江戸マンでサポートしていたんですが、ママディが体調不良で叩けないとういう事態に、熊本から新幹線で東京へすっ飛んできたのがジェンベショップ「WASSAWASSA」の大さんでした。
熊本はかつて1999年熊本国体でのジャンベ演奏や熊本大学・崇城大学・牛津商業高校などの学校のジャンベ部創立・指導などに始まり各県にママディケイタ師を連れて行き各チームに名前をつけてもらったり、、、、
今回出演してくれて1発目にソロを叩いてくれたエミちゃんはママディが名付けた大分の「トロンカン」のメンバーです。2006年の東京ワークにも単身来てくれるなど、半端ない行動力。この事前訪問で15年ぶりの再会でした。
熊大ジャンベカン
全て大さんが関与していました。
そんな熊本もワサワサの閉店、各大学のジャンベ部廃部、そして熊本大地震、、、かつての大学生も県外に就職、、、、
唯一ポーくんが「火の国アフリカ」で頑張っていましたのでアフリカンダンスの声は聞こえてはきていましたが、熊本からのジャンベの情報が途絶えて久しかったところにラウラウの移住。
そんな時に飛び込んできたのが大さんが脳梗塞で倒れたというニュースでした。
前置きが長くなりましたが、熊本にはそんな背景があり、ラウラウの移住と火の国アフリカでダンスをしていたタムちゃんがラウラウのクラスをオーガナイズ始めたと聞き、即「全大宴出演オファー」を出したのです。
東京でラウラウをサポートしていたアフリカ新座のユウキンと一緒に事前訪問。タムちゃんとラウラウとの会談、出演者そうすけくんや大さんへのインタビューなど全てにおいてユウキンに俯瞰で見てもらいました。
予告編
ん?飲み食いしてばっか?
いやいや、そんなーー。
ラウラウ編
今回オープニングで「ワサワサ!」って掛け声出してくれたそうすけくん(崇城大学ジェンベ部OB)の「大さん」への想いが溢れ過ぎてる!
大さん編
とても過酷なリハビリ中とは思えない力強さと前向きな発言は、あの頃の大さんと全く変わりがありませんでした。
大さんは全大宴2の4時間を超える映像を全てみてくださっていて
「久々にムラムラした(笑)来年は一曲くらい故Mamady・Keita師匠のソロオリジナル叩きますので、スローでファンキーな演奏目指したいと下戸の分際で思います、はい」と。
涙が出ました。
そして本番の演奏映像。仕掛け人のタムちゃんは右奥でサンバンを叩いてくれてます。
前出のエミちゃんのソロはかつて僕が大さんと一緒に大分のベンカンに大さんのワークで訪問した際に教えられていたママディ直伝のあのソロでした。収録しながら鳥肌が立ったのはいうまでもありません。
今回初めてお会いしたシャキッとしたソロを叩いてくれたマルさんや、ハマくん・ようへいくんの一見ニッカポッカスタイルから繰り出すヤンチャな雰囲気は超斬新で、新しい風を感じたし、スペシャルサンクスとして名を挙げたドゥンドゥンのひろしは時間かっつんだった収録に爆走運転で間に合わせてくれた「功労者」で、車中熊本ジェンベシーンについてのいろんな話をしてくれました。
きっとこの映像を見て、かつて熊本界隈でジェンベを叩いていたOBが俄然やる気を出してくれてラウラウのもとへ足を運んでくれるでしょう。
現にケンケニを叩いてくれてるみきちゃんは崇城大学のジェンベ部へ定期的に足を運んで指導、部の復活へ奔走してくれているそうです。
以上、全大宴サイドストーリー熊本編でした。