佐々木が書きます
MALI FOLI ANI DON Japanツアー
昨日の東京ライブでツアーの前半を終えました。
10月頭に来日して早々にYouTube生配信、横浜合宿、鹿児島ツアー、そして東京ワークとLIVE
参加していただいた皆さんからは予想通りの感嘆の声を頂きました。
昨日のライブでタクミがどうしてこのツアーをやりたかったか?皆さんに何を感じてもらいたかったか?を話しましたが
僕佐々木がこの数十年間タクミとともにTDFをやる中で見てきた
タクミが歩んできたアフリカンとの足跡
それについて彼は絶対にこうしたことを言ったり書いたりはしないので
僕が感じたこと、それを書こうと思います。
結実
思えば2005年、アメリカにいたタクミから電話をもらって始まったTDF。
帰国後彼と初めて会って、似たような高いジェンベ熱を交換しあってすぐにタクミはアメリカからTORODOキャンプ、そしてアブドゥールドゥンビア、そしてダラマンジャバテを招聘し、ワークショップとライブを企画しました。そしてマリ・コートジボアール・ガーナへと旅立ちました。
2006年に本格的にTDF始動。翌2007年に「親方衆の至芸」や4年に一度のタムリンピックなど、数々のジェンベ関連イベントを仕込み、多くのジェンベファン・アフリカンファンと関わってきました。
自らのバンド「タムタム楽団」をはじめ、自らのワークショップや日光のアフリカンダンスクラスでジェンベを叩き、楽器制作のみならず「演奏すること」をこちらもズーーーと続けてきたのです。
そして常にタクミと一緒に演奏してきてくれているタムタム楽団の団長「春山友志」は本当に切磋琢磨してきた「同志」。
その二人が先日のウムのダンスクラスでドリサと並んでジェンベを叩いていた時のこと。
SUNUの最終盤、それまでズーーーと一人でリードを叩いてきたドリサがタクミと春ちゃんにジェンベのリードを振ったのです。
僕はその斜め後ろでコンゴニを叩いてたんですが、春ちゃんのジェンベリードを聴いたドリサが
そりゃもう満面の笑みを浮かべてダラマンに
「おいおい!こいつぁースゲーぜ!物凄い長い時間俺たちマリのミュージックに浸ってくれてたんだな!ありがとう!」
と言ったように、僕には聞こえました。
春ちゃん同様、マリでも日本でも自分からジェンベを習い続けてくれて
今回のような様々厳しい条件の中、日本に呼んでくれた主謀者でもあるタクミのジェンベにも
「そのジェンベのプレイ、本当にありがとう!」
と言ってくれた表情でした。
自分が知ってる限りでは日光のアフリカンダンスクラスで彼らがアフリカのダンスミュージックに取り組んできた10数年は
なんちゃってアフリカンの演奏とは程遠く
本当に濃厚な取り組みをしてきました。
それがあのドリサの表情で
結実した
僕にはそう思えました。