10月30日早朝に東京を出発、11月9日夜に帰宅するまでの11日間はいろいろな意味で濃厚過ぎて未だ整理出来ていないので、ここで少しづつ写真でも載せながら反芻してみよう思います。
出発前の30日は午前中プレジェン、午後埼玉倉庫にアジア発送分などの在庫を取りに行って即こんどはジェンベや皮の通関で大井埠頭へ。夜暗くなってピックアップした荷物を積んで町屋へ、大量の皮と巣晴らしいジェンベにまみれながらも出発時間が迫ってるので硫黄島持参分を積んで帰宅。2時間ほど寝て、朝4時50分往路約1,500kmのスタートです。中央道・圏央道・東名・新東名・名神・中国・山陽道・九州道と経由して31日早朝に鹿児島着するまで休憩多めにとりながら行きました。
そもそも今回TDFのミッションは鹿児島県の「国民文化祭」でみしまとしてはジェンベ押しで行くことは昨年から徳田健一郎さんから聴いており、その一大イベントをジェンベブースで盛り上げる・・というもの。徳田健一郎さんについては前回2011年のみしまママディワークショップ参加時にブログ(ドゥンドゥン馬鹿)で書いてますので改めて記載は避けますが、まあ凄い人です。今回、改めて思いました。そのあたりはまた後述します。
うちと共に鹿児島のチアフルマークさんもでるので直前に電話でちあふるまこと氏と話して「100人からの参加者や島の方々が気軽に立ち寄ってついつい長居しちゃうようなジェンベ基地を創ろう!」ということに。そしてまこと氏からは「期間長いですから釣竿とか持ってきたほうがいいですよ。釣った魚を焼いてつまみにしてみんなで焼酎吞みましょう」と聞き、昔使ってたタックルを掘り出して持参することに。むむむ、だんだん好みの旅の様相が強まってきたのであわよくばファムドゥ&ババラのクラスを受けたい私としてはその辺のバランス取りをしっかりしないと・・・と気を引き締めます。
10月30日AM4時50分出発。愛車バモスに積まれたジェンベや皮、そして寝袋や釣竿など、けっこうな重みで自然とハイビームになるので対向車からパッシングされたり。しかも660ccノンターボですから高速の上り坂が相当きついので「よし常時80km運行&登りは登坂車線!」と決めました。チョコチョコ休憩しながら延々と続く道もこれから起こるであろう様々な出来事を思えばぜんぜん苦になりません。結局九州に入ってからは数回SAで仮眠を取りましたが無事翌朝6時頃鹿児島へ着。天気はあいにくの雨ですが薄明るい港の向こうに桜島が見えてきて「来たなぁ」って実感。フェリー乗り場で少し待つと続々とジェンベバッグ持った参加者が集まってきます。国内・海外から、あっという間に乗り場はジェンベ叩きで溢れかえりました。久しぶりなあんな人・こんな人で嬉しい気持ちで満たされてるところに、、、御大御一行が。
Famoudou KonateさんとBabara Bangouraさん、そして我らがソロケイタさんとママディコナテさん、今回通訳として大大活躍した岩原大輔&村井宏樹さん、そして何と三島村の大山村長です。三島村とジャンベの歴史は古く、2002年に書かれた松下政経塾卒塾生のレポートが興味深いです。大山村長は島の男って感じのどことなくアフリカ人ぽい風貌で、何とママディのふるさとBalandugu村にも行ってる程ジャンベで村を明るくしようとされてる方です。
乗り場でチアフルのまこっちゃんと再会。再会っていっても今年の5月に一度会ったっきりでほぼ初対面だ。しかしこの旅でファマドゥ・ババラの音を聴くという楽しみの次に楽しみだったのがこの男と一週間ジェンベブースを創り上げるということだった。この男、一見フザケたぐいぐいくる下ネタ炸裂男だが、春会ったときに若くして出た腹のなかに「ぶっといもん」を感じてた。ほぼ初対面に近いぶっとい男と1週間創り上げる「ジェンベフリークが集う基地創り」。わくわくしないわけはない。
なんて考えてる間にフェリー出航時間。車を載せ、いざ鹿児島を出発です。